ひるねコラム


ひるね式ぬりえ教室でした(2014-12-26)

地元大阪市の児童養護施設で毎月開催している「ひるね式ぬりえ教室」、今年最後の教室でした。

私にできるかしら……って不安もちょっとありながら始めたこの教室でしたが、職員の方や、ひげおじさんのサポートもあり、回を重ねるにつれ充実してきているように感じます。


この一年、12回の教室を通して、わかったことがありました。
私が子供達に教えているのは、絵の技術ではなく「心」なんだなって。
絵の技術なんてものは、言ってしまえば技法書を読んで実践することである程度体得できます。
それに、子供本人が「絵がうまくなりたい」と思っていないうちから理詰めであれこれ教えることはあまり意味がないように見えます(幼児英語教育にも同じことが言えますね)。

色鉛筆の塗り方だとか、力の入れ方だとかは、あまり重要なことではありません。
私が子供達に伝えたい、教えたいことは、そんな手先の動かし方ではなく、もっと子供ひとりひとりの奥にある、感情だったり、気持ちだったり、そういう部分の話なんだな、って気づきました。
絵を描くことの楽しさ、自分の世界を表現することの開放感、思いやりの心、怒りの感情のコントロール、道徳観……。
大切なのはそこら辺。
「絵」は、それを伝えるための媒体でしかなく、絵が目的じゃないんだな。


それともうひとつ分かったことは、子供は、こちらが真剣に、そして分かるように話せば、ちゃんと理解してくれるってこと。
子供の感情や「?」って思う気持ちを無視したごり押し説明は、子供をさらにかたくなにさせてしまいかねません。

子供の言動をこまかく観察すること。
私が発する言葉を、子供は、私が思っている以上に重く受け止めることがあるから、言葉選びに注意すること。
この二つに特に気をつけるようになりました。


それにしても、子供のパワーってすごいですね!
一分一秒の間に、頭の中、心の中がぐるぐると変化しているようです。
異世界にプラグかなにかでつながっているんじゃないかって思うくらい突拍子もないことをやってみたり、こちらがハッとするほど真理をついたことを言ったり。

2015年も、真っ正面から子供たちに向き合っていこうと思います。









絵が笑うとき(2014-04-08)

4月2日から始まった高島屋出店も今日が最終日。
始まる前は、新しい出会いにワクワクしながらも、消費税率があがった直後だから今回は苦戦するかしら、高島屋の売上げに貢献できるかしら。ちょっと心配にもなりました。

店頭でお客様と直に接しているひげおじさんの話では、たしかにいつもよりはお客様が少なく感じるそうです。
けれどさすがは高島屋、目の肥えた方が多く来店されます。

「こんなお客様がいらしたよ」
「○○って感想をいただいたよ」

ひげおじさんからの店頭レポートを聞かせてもらっていると、高島屋へ来られる方は『きちんと創ったものは、きちんと評価してくれる』そんなお客様が多いように思えます。


今回の高島屋出店でも、絵が嫁いでいっています。
原画を迎えてくださったかたもありました。
うれしいことです。


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絵を販売するようになって何年か経ちました。
デザインフェスタやクリエータズマーケットのようなイベントで初めて絵を販売したときはドキドキしました。
「今まではメモだのボールペンだのグッズしかなかったけれど、ラスポンチャスの世界を閉じ込めた絵は、昔からのファンの人にきっと喜んでもらえるだろう!」
ワクワクしました。
けれど、そうしたイベントでは絵はほとんど売れず、何人かの、ほんの数えるほどの方にとどまりました。

いまだから言えることですが、正直ショックでした。
みんなはラスポンチャスの世界じゃなく、メモだのボールペンだのの『実用品』を買ってくれてただけなのか? なんて考えたりもしました。

デザフェスやクリマのようなイベントは、『創られたもの』に対して意識の高い人が来場されるのだと思っていたので、絵が評価されないということは、私の技術や技量が足りないのかもしれない、と落ち込んだりもしました。


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先日、街へ出たときに、パン屋さんに入りました。
初めて入ったお店。

たなに並べられたパン達をみて、『あ、パンが笑っている!』と感じました。
「こんにちは!」
「こんにちは!!」
「わたしはとっても美味しいですよ!」
「ねぇねぇ、わたしを味わってみませんか?」
「僕は見た目は悪いかもしれないけれど、味はすごくいいんですよ。僕にしませんか!」
「きゃははは!」
パン達がなんだかとても楽しそうなのです。

そのときにピカーンとひらめきました。
『作品でも、笑うときと笑わないときがあるのかもしれない……。』



高島屋の店頭では、ラスポンチャスの絵が笑っているのだと思います。
ポンチャの絵が楽しそうに笑いながら、人々に話しかけているんだと思います。

「おばさま、こんにちは! そんなに急ぎ足だと転んじゃうよ。ちょっと休みませんか?」
「うふふふふ、私たち、こうして絵のなかで動かずにいるけれど、あなたのこと見つめているんだよ!」
「あなたのおうちにピアノがあるなら、夜中に少し弾かせてね」

そんな風に笑っているのだと思います。

そんな風にして出会ってくれた方に選んでもらって、連れてかえってもらったり、贈り物として使者になったりした絵は、そこでもきっと笑っていると思います。



どんなに思いをこめて描いた作品でも、環境によっては笑わない(笑えない)のかもしれませんね。
今回の高島屋出店で、そんなことに気づきました。








作者の私ができること(2014-03-07)

1月から、大阪の児童福祉施設で、ラスポンチャスぬりえ教室を開催しています。

私自身、小さいころを孤児院でお世話になり、こうして大人になった今、何かできることないかな〜って思っていたんだ。

ラスポンチャスを通じて、愛されない子供を減らしたい、息がつまっているお母さんたちの肩の力を抜くお手伝いがしたい、と思って創作しているけど、もっとできることあるんじゃないかって思っていたんだ。

作家としてできることっていったら、ラスポンチャスで大もうけして、寄付するとか?
財団を設立するとか?
絵本を出版してチャリティーとか?

う〜ん……どれも「いま」の私にできることじゃない。
いつになったらできるんだ?? しばらくできそうもない。


けどまてよ、作者の私が出向いていって教室をひらけば、ひとまず大きなお金はかからない。よし、やろう!
ということで、毎月ぬりえ教室を開催しています。

つてがあり、地元の児童福祉施設を紹介してもらいました。
施設長や職員の方とお会いし、じっくり長い目で子供達と接したいこと、真剣に子供達に向かう覚悟があることをお伝えし、毎月お邪魔することになりました。


ま、実際の現場はそんな堅苦しいものではなく、元気いっぱいの子供達にもまれながら、ワイワイガヤガヤとぬりえを楽しみ、気がついたら絵がうまくなっている……! という教室。
ステキでしょう?


絵を描くことで現実からはなれられたり、逆に、冷静に現実と向き合えたりすることってあると思うんだ。
私自身もそうだった。

親に愛してもらえない、っていう消化しようのない寂しさや悲しみを、絵を描くってことで減らせたらいいなって思うよ。
「自分にはこれができる」っていう自信につながったらもっといい!


それにね、実はもっと大きな野望もあるんだ。
将来ここの園からプロの画家や芸術家が輩出されたらいいなって!

その道のりのための、小さなレンガを敷く役割、それが今の私にできること。
私は私の役割を精一杯つとめます!


みんなにもお願いがあるよ!
ラスポンチャスが好きで、お金がある人は、グッズを購入してください。
実感はないと思うけれど、それがチャリティにつながっています。

直球すぎる言い方で、イヤに感じる人がいたらごめんね。
うわべだけの建前はいやなんだ。
包み隠さない正直な気持ちです。



明日は3回目のぬりえ教室。
少しづつ子供の名前と顔を覚えられてきた。
子供それぞれの取り組み方の「クセ」も見えてきた。

そしてそろそろ、子供達の私に対する遠慮がなくなってくるころだと思う。
そうなったら、ココロの距離が近づいていくんじゃないかな、楽しみです。
\(^o^)/








孤児院の思い出(2013-01-23)

このニベアクリームの青い平べったい缶をみると、子供のころの懐かしい記憶がよみがえる。

わたしがお世話になった孤児院は、母体が仏教系だったこともあってか躾には厳しかった。
園での組み分けは縦割りで、2歳〜12歳までの園児が各一人づつ、8人くらいで組み分けされていた。組み分けされた子供たちは同じ部屋で寝泊まりをした。
小さい子はお兄さんお姉さんの行動から学び、大きい子は小さい子の面倒を見ていた。

朝は早起きで、冬にはまだ外が暗かったから5時か6時くらいだったろうか。
子供たちは起きると、まず自分の寝ていた布団をたたんで押し入れにしまう。そして着替えたり、顔を洗ったりして身支度を整えると、掃除の時間。
掃き掃除、拭き掃除をみんなでやる。小さい子も大きい子も分け隔てなく、一緒に掃除をする。

園には長い廊下が何本かあった。
子供たちは、しぼった雑巾を手に、長い廊下に四つん這いになってまっすぐ雑巾がけをする。
みんなでやるから駆けっこのような遊びの延長で、けっこう楽しんでやっていた。

つらかったのは冬で、床は冷たいし、冬の朝の冷たい水で雑巾をすすいだりしぼったりするのはなかなか大変だったことを覚えている。

雑巾がけが終わると子供たちは廊下に一列に並び、片手を前に差し出して待つ。
ズラリと並んだ子供の手に、先生がニベアクリームをちょこん、ちょこんと塗ってくれる。先生が手の甲に乗せてくれたクリームをくるくると伸ばしながら、みんな嬉しそうだった。
ほのかに甘いようなあの香りを思い出すたびに、なつかしさで胸がしめつけられる。

自分のことは自分でやらなければならなかった園の生活の中で、先生が手にクリームを乗せてくれるあの瞬間だけは、自分のために、自分のためだけにしてくれていることで、たった一瞬だけど、先生という母の代役を独占したような気持ちになって、なんとなく誇らしい気持ちになった。


この青い缶に詰まった私の思い出です。







こうなってほしかったんだ!(2013-12-22)

出店中の阪急百貨店に追加納品に行ってきました。
ラスポンチャスの売り場にお客様がどんな反応をするのか気になったので、納品が終わってから、しばらく上の階から眺めていました。

平日の朝とあって人通りはまだ少なめ。
それでもポツポツと、道行く人がラスポンチャスの前で足をとめてくれます。
私はその様子をにこにこと見つめておりました。

3歳くらいでしょうか、ひとりの男の子が元気よくポンチャのぬいぐるみの前にかけよってきました。
男の子は背伸びをして、きぃポンチャを手にとりました。
きぃポンチャの頭をなでたり手をにぎったりして、そして、きぃポンチャをギュウウっと抱きしめました。
その様子をほほえましく見つめていたら、お母さんらしき人が男の子のそばにやってきました。
そして、きぃポンチャを抱きしめている男の子を、さらにギュウウっと抱きしめました。
なんとも暖かい、幸せに満ちた光景で、うれしくて涙が止まりませんでした。

私がラスポンチャスを描いたり創ったりしている、一番の目的はこれなんだ。
もっと子供を愛してほしい。
子供は平気な表情(かお)をしていたって、ほんとは愛を欲している。
自分を否定する何気ない小さな言葉にいちいち傷ついている。
ねえおかあさん、と呼びかけたとき、こちらもみないであしらう母親の態度を見つめている。
そしてその満たされない気持ちを抱えたまま成長してゆく。

そんなササクレのような小さな心の痛みを少しでもなくしたい。
世の中のお母さんたちに、子供を愛するってことの幸せさに気づいてほしい。
愛されない子供を一人でも減らしたい。

そんな願いを込めながらラスポンチャスを創っていて、そして、目の前で、その願いが叶えられる様子を目撃して、嬉しくて涙が止まりませんでした。

ラスポンチャスを生み出して、本当によかった!







すてきなもみの木(2013-12-12)

ポンチャでクリスマスを描くのは初めて。
キリスト教徒でもないのに、心を込めてクリスマスの絵を描けるわけないって考えてたから。。

わたしが二十歳になった冬、もめにもめていた実家をカバン一つ持って飛び出した。
それから今までなんとか独り立ちしているわけだけど、家を出てからしばらくはシェルターのような所でかくまってもらい、年が明けてからは、カトリック系の女子寮にかくまってもらった。

初めて寮をたずねた時、玄関に大きなクリスマスツリーが飾ってあった。
もう年も明けたのに? と不思議に思っていたら、キリストの生誕節というのは12月25日に終わるわけじゃないんですよ、もうしばらくあるんです、と寮母のシスターが教えてくれた。

それから真に独り立ちするまでの数年間をその女子寮でお世話になった。
別棟に祈りのためのオミドウ(御御堂)があって、毎週決まった曜日に小さなミサが開かれていた。
寮生はみなミサに列席することになっていたので、私も列席した。

私はキリスト教徒でなかったので、だれに、なにを、どう、祈っていいやらわからない。かといって居眠りが許されるような空気でもない。静かに祈りを捧げる皆の姿をぼんやり見つめていた。

シスターたちはみな、左手の薬指に指輪をしていた。
え? シスターって既婚?? と思ったらそうではなく、それはイエスさまと結婚しているのだそうだ(あ、ということはやっぱり既婚か)。

シスターたちはみな、朗らかで、静かで、けれども私がおかしな冗談など言うとキャッキャと声を出して笑うような可愛さも持ち合わせていた。おばあちゃんシスターも若いシスターもみな、女学生みたいな清らかさをまとっていた。

ある日、あるシスターが、キリスト教について私に説いた。
私は特に信仰している宗教はなく、寮に住まわせてもらっているからといってキリスト教を信じるというのもどうかと思った。信仰心もないのに〝フリ〟だけするのは、かえって失礼だと思った。
「ねぇシスター、〝信じる〟っていうのは、誰かを好きになるのとおなじようなもので、人に言われてすることでもないんじゃないの。気がついたらそうなってるものなんじゃないの。」
シスターに説教をするなんて、いま思えばずいぶん生意気なことをしちゃったな。
けど、こんな生意気にも、シスターは笑って「そうね、なるようになるわね」と、無理強いはしなかった。


寮には大きなクリスマスツリーがあって、毎年みんなで飾りつけをした。
大きなもみの木に、色とりどりの飾りをつけてゆくのはとても楽しかった。

この絵は、そんな思い出を思い返しながら描きました。







わたしの誕生日(2013-11-16)

冬になったら、私の誕生日がやってきます。

大人になってからずっと、私は自分の誕生日を祝う気持ちになれずにいました。それは、私を産んでくれた人との別れの日でもあったから。

私を産んでくれた人は、どんな気持ちで、その日を迎えたのだろう。。。
「やっと解放された」とせいせいしただろうか。
でも、それでもいいよ、産んでくれてありがとう。
丈夫な身体に産んでくれて、感謝しています。
産まないという選択だってあったのに、あなたの人生のうちの何ヶ月かを一緒に過ごしてくれて、そして産んでくれて、ありがとう。

いま、しあわせにしていますか?
もし、私のことを思い出すことがあって、そして、もし仮にも私に対して申し訳ないというような気持ちになることがあったとしたら、それは違います。
私は感謝しています。
あなたにしあわせでいてほしいです。

以前、父から聞きました。
私の手や、足の指は、あなたにそっくりなんだそうです。
こうして丈夫な命を与えてくれてありがとう。

いまもまだ、自分の誕生日を喜ぶ気持ちにはなれない弱い私だけれど、あの日、あなたが私を産んでくれたおかげで、ラスポンチャスという作品が産まれました。

あなたがどこかの街で、ラスポンチャスと出会ってくれてたら、すごく嬉しいなぁ!







おばあちゃんとももポンチャ(2013-06-13)

友人のおかあさんが入院したのでお見舞いにいった。
私は「おばあちゃん」って呼んでる。
私はこのおばあちゃんが大好きなの。
初めてであったときにはすでに認知症でボケが始まってた。

5分ごとに物を忘れちゃって何回も同じことで驚くのよ。新しく物を覚えたりすることはもうないんだよね。と友人は言う。
それでも、いつ会ってもニコニコニコニコしていて、朗らかで、言葉もしっかりしているし、はためにはボケてるとは分からない。

おばあちゃん、骨折してしまったので入院。
で、お見舞いにいったの。
以前よりボケもすすんでいるらしい。
友人が「おばあちゃん一人で寂しいだろう」と、ももポンチャのぬいぐるみも一緒に入院させてくれた。



おばあちゃんはいつもどおりのニコニコ笑顔で、テーブルにポンチャ座らせて、なでたり、話しかけたりしているの。
ときおり「うんうん、そうかそうか、お前もそう思うか」なんて相づちうったりして。
おばあちゃんがももポンチャを見つめるまなざしは、ほんとうに優しくて、純粋で、神々しくさえ見えたよ。

働き者だったおばあちゃんの手はシワシワでカピカピ。お顔もシワだらけなんだけど、でもそれがすごくきれいなの。なんていうんだろう、毒がないんだよね、表情に。
そんなおばあちゃんを見ていると、老いるってこんなに美しいことなんだ、って思えるんだ。こんな表現は失礼かもしれないけれど、80年以上かけて作られた作品のようにさえ思えるんだ。

ボケてから出会ったのに、私をみて「ひるねさん」って呼びかけてくれたことが、すごくすごく嬉しかったよ。

おばあちゃんとももポンチャのやりとりを見つめていて、ラスポンチャスを生み出してよかった……って、シミジミ思ったんだ。
おばあちゃん、大好きだよ!